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東京地方裁判所 昭和36年(ワ)7297号 判決 1964年3月11日

原告 大和信用株式会社

被告 国

訴訟代理人 真鍋薫 外七名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

原告の請求原因(一)、(二)および(三)(1) の各事実は当事者間に争いがない。そして、請求原因(三)(1) 記載の行政訴訟の確定判決の既判力は本件被告にも及び、被告はもはや請求原因(二)(1) 記載の課税処分(以下、本件課税処分とする。)が違法でないと争うことはできないものと解する。請求原因(二)の(2) 、(3) 記載の差押および公売処分(以下、本件滞納処分という。)は、違法な本件課税処分に基づくものであるから、これまた違法であることは明らかである。そして本件課税及び滞納処分が国の権力作用に属する徴税権の行使としてなされたものであることは、いうまでもない。

ところで、国家賠償法第一条の規定によると、かような違法処分により地人に損害を加えた場合に、国が損害賠償の責任を負うのは、その処分に当つた公務員に故意又は過失があつたときに限られるのである。ここに故意とは、違法行為であることを知りながら、あえてその行為をなすことであり、過失とは、違法行為であることを当然知りうべきであるのに、不注意により知らなかつたことをいうが、単に行政処分の違法性が裁判により確定されたということ自体から、直ちに処分をなした当該公務員の故意又は過失が確定されたものということができないのは勿論、法律上これが推定されると解すべき根拠もない。このような裁判の効力は処分をなした当該公務員の主観的違法性にまで及ぶものではなく、また行政処分は法令に適合してなされなければならず、当該処分に当る公務員は関係法規の解釈を誤らないことを要するのは勿論であるが、行政法規の解釈は必ずしも単純明白であるとは限らず、多様にわたる場合もあり得るし、このような場合、当該公務員が職務上要求される通常の法律知識に基づき正当と信ずる解釈に従つて処分をなしたときは、たとえ事後において裁判所の終局的な判断によりその処分が違法とされたとしても、それをもつて、直ちに、故意又は過失に基づくものということはできないのであつて、このことはその処分の取消または変更を求める抗告訴訟において当該処分の適法性を主張する当事者にその適法性を立証すべき責任を分担せしめるべきものとする立場を採る場合においても、結論を異にすべき理由はないといわなければならない。

そこで、本件課税処分および滞納処分における故意、過失の存否について判断を進めることとする。

本件課税処分および滞納処分は、日本橋税務署長および同署長より事務引継を受けた東京国税局長がこれをなしたものであることは当事者間に争いがない。そして右課税処分は、株主相互金融株式会社等が当該会社の株主に対して給付する株主優待金の費用は、法人の所得の計算上損金に算入しないで、優待を受ける株主に対する配当として課税する旨の昭和二八年三月三日付国税庁長官通達に基づいてなされたものであることも当事者間に争いがない。したがつて、本件課税処分および滞納処分における故意過失の有無を判断するに当つては、日本橋税務署長および東京国税局長の右処分だけでなく、その基礎をなす国税庁長官の右通達行為をも含めて考察しなければならない。この場合、故意又は過失ある公務員を具体的に特定する必要はなく、税務当局に故意又は過失があつたかどうかを問えば足りると考える。

まず原告は、本件課税処分および滞納処分は、原告の事業を壊滅しようとする税務当局の故意に基づくものであると主張するが、これを認めるに足る証拠はない。(本件課税決定について昭和二八年一二月二八日原告が東京国税局長に対し審査請求をなしたところ、未だ同国税局長の審査決定がなされない間に、本件公売処分が完了したことは、弁論の全趣旨より明らかであるが、審査の請求があつた場合でも、そのことだけで税金の徴収を猶予すべきものでないことは、所得税法第四九条第三項、第二七条第九項に規定するところである。また成立に争いのない甲第二二号証によれば、原告が昭和二九年七月二九日東京国税局長に対し、原告所有不動産の任意売却により納付通知にかかる滞納税金を毎月分割納付する計画を提出して徴収猶予を申請したことが認められるが、かかる申請があつたからといつて、税務当局において当然徴収の猶予をしなければならないものでないのみならず、本件公売処分がなされたのは昭和三〇年四月以降であることは当事者間に争いがなく、それまで原告は右分納計画を全然実行していないことは弁論の全趣旨より明らかである。したがつて右の諸事実は、本件違法滞納処分について税務当局の故意を認定し、あるいは推測せしめる事情とはなりえない。)

次に、本件課税処分および滞納処分について、税務当局に過失があつたか否かを検討する。原告はこの点について特段の立証をせず、前記確定判決の存在は、本件課税処分および滞納処分をなした当該公務員について、少くとも過失の存在を推測せしめる事情ということができるけれども、他面成立に争いのない甲第九号証によれば、前記行政訴訟の最高裁判所判決は、「所得税法中には、利益配当の概念として、とくに、商法の前提とする、取引社会における利益配当の観念と異なる観念を採用しているものと認むべき規定はないので、所得税法もまた、利益配当の概念として、商法の前提とする利益配当の観念と同一観念を採用しているものと解するのが相当である。従つて、所得税法上の利益配当とは、必ずしも、商法の規定に従つて適法になされたものにかぎらず、商法が規制の対象とし、商法の見地からは不適法とされる配当(たとえば蛸配当、株主平等の原則に反する配当等)の如きも、所得税法上の利益配当のうちに含まれるものと解すべきことは所論のとおりである。しかしながら、原審の確定する事実によれば、本件の株主優待金なるものは、損益計算上利益の有無にかかわらず支払われるものであり株金額の出資に対する利益金として支払われるものとのみは断定し難く、前記取引社会における利益配当と同一性質のものであるとはにわかに認め難いものである。されば、右優待金は、所得税法上の雑所得にあたるかどうかはともかく、またその全部もしくは一部が法人所得の計算上益金と認められるかどうかの点はともなく、所得税法九条二号にいう利益配当には当らず、従つて、被上告人(本件原告を指す。)は、これにつき、同法三七条に基く源泉徴収の義務を負わないものと解すべきである。」と判示している。そして当裁判所もこれと同一の見解に立つが、右最高裁判所の判文自体からも窺えるように、これは複雑困難な事実認識ないし法律解釈を含むものであつて、その解釈には高度の専門的知識を必要とししかく簡単に結論に到達しうる問題ではない。のみならず、成立に争いのない乙第一号証によると、国税庁長官が前記通達を発した昭和二八年三月当時、原告のような、いわゆる株主相互金融方式をとる貸金業者は、不特定多数の者から資金を受入れるもので、貸金業等の取締に関する法律(昭和二四年法律第一七〇号)第七条に違反するのではないかとの議論が盛んになつたが、政府当局は、右方式による資金の調達は、一見右法律にいう「預り金」に近いような観を呈する面もあるが、しかしあくかでも株主の出資によつて資金を確保し、株主に対し利益の配当をなすものであつて、右法条に違反するものではないとの結論に達し、いわゆる株主相互金融方式をとる会社に対しては右法律にもとづく取締を行わなかつたことが認められ、さらに前記優待金が株主にのみ支払われたことは当事者間に争いがなく、弁論の全趣旨によれば、株主に対し右優待金以外に利益の配当は行われなかつたことが認められ、少くとも右優待金の一部には、本来利益配当として株主一般に配当すべきものも混入していると考える余地もあるのであつて、右のような事情を考え合せると、前記国税庁長官通達ならびにこれに従つてなした本件課税処分および滞納処分が、当該公務員に職務上要求される注意義務の懈怠があつた結果、法律解釈ひいては処分行為の違法を認識すべきであつたのにこれを認識しなかつたためになされたものということはできない。その他、本件課税処分および滞納処分について、税務当局の過失を認めるに足る証拠はない。

以上の次第で、原告がたとえ右違法処分によりその主張のような損害を受けたとしても、なお被告はこれを賠償する義務があるということができず、被告に対し右損害の賠償を求める本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当であるから、これを棄却すべきものである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 江尻美雄一 中島一郎 兵庫琢真)

別紙(損害額表)<省略>

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